Author Archives: Sasa

保湿重視のKANSOSAN

去年、シミ取りレーザーに玉砕し、
シミをなくす近道なし。

出来ることと言えば保湿。

ちょうど化粧下地がなくなったので
「保湿」という視点で探しました。
もちろんお値段もね。

このほのぼのイラストのシリーズ「KANSOSAN」。
名前の通り保湿重視で、
ファンデーション塗った後もしっとり。
パウダーも同じシリーズを買いました。

しばらく使ってますが、なかなか良いです。
ドラッグストアにあるから気軽に買えるし、
もちろんデパコスよりずっとお安い。
このシリーズで他もいくかな。

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プレゼント


次男の誕生日の1週間後が母の誕生日。

欲しいものはちゃっかり指定してくるので
今日休み時間にバタバタと買いに行って
夜納品しました。
おでかけ多いので使いやすいアニエスベーのバッグです。

交友関係の広い母はあちこちからお祝いとか
メールとか届いていてご機嫌。

sasaがあの年齢になった時に
あんなに友達多いとは思えないなあ。

で、驚いたのはsasaの旦那が昼間にお花を届けていたこと。
母はとにかく花が好きなので花瓶に生けて大喜び。
墓参りとかこういうところはカッチリしてます。

次男も到着は送れるけどプレゼント発送済みらしく
弟のところの甥っ子姪っ子もお祝いメール。
毎年スルーするのは長男だけ。
社会人なのに。

会津旅の思い出 赤べこ

自分のお土産に赤べこ買いました。
湯之上温泉駅前のひなびた土産物屋さんで買ったので
観光地よりお安かった。

よ~く見ると顔も形も頭と胴のバランスも違うので
気に入る子をよく見て選んだ方がよいですよ。

頭を振る姿に癒される。

会津旅3日目(2023年12月11日)②~只見線

さあ、いよいよ今回の旅のメインイベント只見線。
といってもsasaには思い入れはそんなにないんですけどね、
母プランの旅ですので。

会津若松駅から小出駅まで5時間近くかけて走るローカル列車で、
早朝と昼の2便しかなく予約もできないので、
休日やハイシーズンはそこそこの人のようですが、
紅葉も過ぎた平日だと、少し前に並べば問題なし。
この長旅、座れないときついもんね。

こんな普通のビジュアルの列車だけど、
鉄男、鉄女さんが嬉しそうに乗り込みます。

13:05発車!

2両しかないので、運転席をのぞいたり

車窓は枯れた景色が続きます。

14:55赤い屋根の地域とか

15:04途中で1回だけ電車を降りる休憩駅・会津川口駅。
降りてはみるもののなんの見どころもなし。

16:22これぞ只見線に乗ったぞ!という証明のような只見駅で数分停車
みなさん当然記念撮影。
電車好き同士仲良くなってますよ。

ここまで来るとラストも近いぞ!
17:57小出駅で終着です。

4時間52分の長旅お疲れ様でした。

只見線の魅力は正直言うと、
只見線の列車が新緑や紅葉、雪の中を走っている風景なんだよね。
線路から遠い高台の全体が見渡せる展望スポットからじゃないと
そういう構図にはならない。
なので、自分が電車に乗ってるんじゃ見えない。

特に16:15ごろの叶津河橋梁が最大の見どころで、
線路が大きくカーブするのと、
紅葉とか雪の降り積もる時期であれば絶景の山が背景になる
最高の撮影ポイント。

動画も撮ってみたけど、やはりたった1回乗車しただけの素人では無理だ。
母も雪景色が見たかったなあとか欲を出すけど、
かなり雪深い地域なので大雪のために運休になる危険性もあり、
九州から事前にスケジュール組んで行く身には賭けすぎる。

母はまあ念願のローカル列車の旅が一つ実現できて
満足の様子でした。

会津旅3日目(2023年12月11日)①~さざえ堂

翌朝はまた湯野上温泉駅まで送ってもらい、
会津若松駅へ移動。

建物が特徴的な会津さざえ堂へ。

なんだか変わってるでしょ?
こちら不思議な螺旋構造で、
スロープをゆっくりグルグル上っていきます。
一番上まで行ってそのまままっすぐ降りていくという一方通行一。
上りとは会わない構造です。

不思議でなんとも風情のあるお堂です。

横には「白虎隊十九士の墓」。

大河「八重の桜」を見ていたら詳しかっただろうけど、
戊辰戦争の時に16~17歳の少年たちで編成された白虎隊が
戦場から退却し、この飯盛山から鶴ヶ城の天守閣が焼けるのを見て、
城が陥落して敵の手に落ちるくらいなら
君主の恥にはなりたくないと全員が自決。
1人だけ生き残った 飯沼貞吉によって伝えられているという。

結局、その後鶴ヶ城は開城し、
八重は新島襄(慶応義塾大学創設者)の奥様になりましたとさ。

これじゃあ報われないわ。

#会津若松 #さざえ堂 #白虎隊 #八重の桜