よしよし、ゴーヤの季節がやってきた。
茹でてサラダもいいし、炒め物でもいいけど
今日は焼きそばにしてみました。
栗原はるみさんの塩焼きそば風に
先に麺だけを炒めて
ゴーヤと豚肉を炒め、オイスターソースなどで味付けて
麺の上に盛る。
ゴーヤの苦さが暑くてもスッキリするんだよな。
ナイスです!
よしよし、ゴーヤの季節がやってきた。
茹でてサラダもいいし、炒め物でもいいけど
今日は焼きそばにしてみました。
栗原はるみさんの塩焼きそば風に
先に麺だけを炒めて
ゴーヤと豚肉を炒め、オイスターソースなどで味付けて
麺の上に盛る。
ゴーヤの苦さが暑くてもスッキリするんだよな。
ナイスです!
実家のお墓
というか納骨堂ですが、
古くなってたのでお寺が新しい納骨堂を新築し、
お骨を引っ越ししました。
抽選で決まった順番で
希望の場所をつたえて決まります。
古くて暗い場所から
新築のエアコンも効いたきれいな場所に変わりました。
父や祖父母も気分よいといいけどな。
■日時:2021年7月17日(土)13:30
1幕1時間15分 20分休憩 2幕1時間10分
■会場:久留米シティプラザ C列
■作・演出:蓬莱竜太
■出演:井上芳雄 伊藤沙莉 若村麻由美
高橋 努 入山法子 太田緑ロランス 石田佳央 和田琢磨
小磯聡一朗 柴田美波 林 大貴 BOW 益田恭平 吉田萌美
◇Story
女王デン(若村真由美)は、
溺愛していた第一王子ナルが病に倒れてからは国政を執らず、
民は貧しさに疲弊し、反乱の気運が高まっていく。
そこで「呪われた子」として離島送りにしていた第二王子トル(井上芳雄)を、
反乱分子の首を落とすために呼び戻す。
谷に住むヴィリ(伊藤沙莉)は生きる理由が見当たらず、
最果ての崖で首切りの処刑を目にする。
トルはヴィリに興味を持ち、召使いとして雇い入れる。
蓬莱竜太さん、王子が大好きな演出家ですよね。
sasaは『トライアングル』が苦手で敬遠してたのですが、
これがまあ、素晴らしい作品でした。
ファンタジーという薄布を纏いながら深淵。
大千秋楽でしたので、ネタバレよいですよね?
オープニングは「生きる意味がない」というヴィリが
崖に向かうシーンからスタート。
いや、ほんとはステージの四方に
楽屋に見立てた透明な部屋が仕立ててあって
その前(開演5分前くらい)から、
役者さんたちは全員そこに座っています。
その後も、はけることはなく出ずっぱり。
物心つかない時から訳もわからないまま島に送られ、
召使と二人だけで暮らしていたトルは
久しぶりに会った母の愛を得ようと必死。
母から命じられた首切りという役目を全うする。
第一王女という美しい妻はいるけど、お互いに愛情ないから
つまらないし、そもそも従者と浮気してる。
そこに現れたヴィリ。
自由だし、面白いこと知ってるし、カードゲームして
一緒にいて楽しい。
初めてできた心許せる相手。
かくしてヴィリは第二王女となる。
でも、ある日突然、ヴィリが冷たくなるの。
遊んでくれない、相手してくれない。
この変化の理由がちょっと不明でして…。
お友達と話してみて
「あわよくば利用してやろうと思っていた野心家のヴィリに
トルへの情が湧いて、距離を置こうとした」
「子供のできない第一王女が哀れになった」
など。
この時のトルが切ないのよ。
初めてできた心許せる相手に突然見捨てられる。
またしても愛がもらえない。
そしてここで、自分がこれまで同様のことをして
第一王女を傷つけていたことに気付く。
でも、本当につらいのはここからで、
トルは結局、病気のナルの身代わり要員だった。
女王は、トルの元気な身体にナルの魂を入れて
ナルを蘇らせることが目的だったの。
そのために、毎日、呪いの毒薬をトルに飲ませる。
女王からの贈り物だと喜んで飲むトル。
トルの身体をトル。
ナルの身体にナル。
いよいよ身体に変化が現れ、
苦痛に倒れるトル。
3日後にナルに変わることが確定する。
ちょうどそのころ反乱軍が城に迫り、
ヴィリは嫌がるトルの手を引っ張って逃げる。
しかし、逃げる途中で撃たれてトルの身体も終わりを告げる。
これは同時にナルの復活も消えることを意味する。
トルは崩れ落ちる前に
「託す!」とヴィリを前方に押し出す。
ヴィリはトルの意思を受け止め進む。
生まれてすぐに親に捨てられ、
呪われた子として島送り、
戻されたと思えば首切りの毎日、
初めて心を許したヴィリには冷たくされ
最後は兄の身代わり。
自分の人生に意味があったのかなあ、
自分って無駄な人間だったのか?
救いのない人生。
そこでヴァリが言うの。
「無駄なんてない!」
これが全てだと思う。
オープニングの
「生きる意味がない」からの
ラストの
「無駄な人間なんていない」。
人は全て価値がある。
そして、全員に認められなくていい、
認めてくれる人は1人いればいい、
とも思った。
ヴィリは全力でトルを助けようとしたし、
トルの最後の思いを受け止めた。
それでいいと思う。
蓬莱さんは他にもたくさんのメッセージを織り込んでいた
ことはわかるのだけど、1回の観劇で理解するのは無理でした。
途中トルが歌う聖なる歌。
がなり立てる台詞が多い中、
いきなり歌い出してもさすがの清らかさ。
歌のシーンはほんの一瞬だけど心に響きます。
王子が出演なのに歌一個もなしとか
蓬莱さんも諦めきれませんよね。
若村さんは演技派だし、
伊藤沙莉さんはすばしっこい少女がぴったりで
軽やかで愛らしかった。
でも、ファンのひいき目なしでも王子の実力が圧巻。
ストプレでもこんなに素晴らしいってどいうこと?
最大の武器である歌を使わなくても
こんなに感動させる力がある。
蓬莱さんと王子とみんなで
大事なメッセージを時間をかけて
読み聞かせしてもらっているような作品でした。
■日時:2021年7月11日(日)14:00 1時間55分
■会場:北九州芸術劇場 中ホール K列サイドブロック
■作・演出:前川知大
■出演:浜田信也、安井順平、盛隆二、森下創、大窪人衛、
池谷のぶえ、薬丸翔、豊田エリー、清水緑
Introduction(公式HPより)
同級生の寺泊満と山鳥芽衣は、偶然同じ町に住んでいることを知り、二十数年ぶりの再会を果たす。
語り合ううちに、お互いに奇妙な問題を抱えていることが分かってくる。
寺泊はある手品師との出会いによって、世界の見え方が変わるようになる。
芽衣は品名に「無」と書かれた荷物を受け取ったことで日常が一変する。
無は光の届かない闇として物理的に芽衣の生活を侵食し、芽衣の過去を改変していく。
二人にとって、この世界は秩序を失いつつあった…。
はじめてのイキウメ、予想通り難解でした。
感じ取ったのは2つ。
手品を見る。
きっとタネはある、
よくわからないけど、
「手品ってそういうもんだ」で納得する。
人はよくわからなくても多くの場合
「そういうもんだ」で済ましている。
突き詰めることってどうなんだろう。
それはメンドクサくてダサいのかもしれない。
芽衣に「無」という荷物が届き、
どんどん生活を侵食していく。
上演中も、かなり長い時間、会場が暗転し、
真っ暗闇になる。
観客も「無」の世界に落とされる。
そこから這い上がるのに必要なのは「想像力」。
芽衣は「あるもの」と思って想像の手すりをつたい、
光ある世界に戻る。
それはこれまで当然だった秩序が崩れ落ちた
今に通じるものかも。
すべてが消え、「無」となった世界からどう進むべきか。
寺泊と芽衣は、怖いねと言いながら無に飛び込み、
ラストは光=希望が見えた。
想像力→想像力で乗り越えられるというメッセージかと。
役者さんたちは、ナイロンでおなじみの池谷のぶえさん以外は初見。
安井順平さんはなんとなく見たことあるなあ、くらい。
まあ、この主役2人がベテランで安定してますからね。
豊田エリーちゃんは柳楽くんの奥様。
やっくんの息子さん薬丸翔さんは、
立派なアラサーなのね。
声が低めでよかったです。
イキウメ前川さんは、舞台好きには人気の演出家で
一度は拝見したいと思っていました。
でも、やはり凡人にはちょっと難しかったな。
今期の朝ドラ『おかえりモネ』
心情の丁寧な描き方が好評ですね。
モネの人生には東日本大震災が大きく横たわっている。
震災当日、本土に合格発表を見に行っていて
被災した地元の島を遠くから見るだけだった。
大変だった日を島のみんなと共有できない。
その日もその後も何もできない自分。
憧れの気象予報士・朝岡がモネと関わっているうちに
それを感じ取り言う。
「何もできなかったと思っているのはあなただけではない」。
震災直後、日本全体が、何もできない自分を疎ましく思い、
日常生活が送れるだけで申し訳ない気持ちになった。
気仙沼を舞台にし、復興支援が目的のドラマだと思うけど
直接関わらなくても心を痛めた人たちの気持ちにも寄り添う。
テーマが静かに伝わってくる作品だと思う。
そんな中、新聞に評論が載っていた。
モネは天気を知ることが
職場の林業にも地元の漁業にも
他の全てにもつながることだと知り、
誰かのためになりたいと気象予報士を目指すのですが、
「人のためになる」を称賛すると
「人のためになってない」人のことを否定している
というのだ。
人のためになってない人は生きている意味がない
という気持ちになるのだと。
う~ん…
確かに、sasaも就活で落ち続けると
「社会から必要とされてないんだ」とか
「私なんかいらないんだな」とか
どんどん気持ちが落ちていったよ。
あのままいったら鬱になったかもね。
でもさ、だからといって、
人のためになりたいと思うことを否定するのは
おかしくないか?
かけっこで順位がつくと遅い子が傷つくから
かけっこ自体をやめたって話もあったよね。
人のためにならなくても大丈夫♪
っていうドラマを作れと言うのか?
それもありかもしれないけど、
モネを否定する理由にはならないよ。
「おかえりモネ」というからには
最終的には島に帰るようですが、
一度都会に出た若者が島に戻るというのは
現実的ではない。
相当の理由を示して納得させてほしいなと思う。
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